2008年6月2日 デナリー公園

ヘラジカの角。しとめた者の名前と日付けが書いてあった。今では自然破壊者の汚名がきせられるだろう。かつてアラスカは水爆実験地として候補に上がり、自然保護者の身を挺した抵抗がこの企てを守り、自然も動植物守られた。
もっともこの結果、水爆は南太平洋のビキニ環礁になり、久保山さんたちが被災してしまうことになったのは残念だけど。

昔、ロシアはクリミア戦争で疲弊した国政を立て直すため米国に720万ドルでこのアラスカを売った。買った米国担当者(大統領?)は"無用な大冷蔵庫購入"と(愚かな)マスコミに揶揄されたが、今では懸命な判断として尊敬されている。720万ドルを当時の日本の米の値段→今の米の値段→今の物価→東京の新丸ビルの土地家屋と同等…と思うと、東京の土地建物は高すぎるべ~!

 
 

ユーコン大河の支流ネナナ川の氷解け見張り台。
氷が解けると物資等を運ぶ船が往来して、社会経済が動き出す。道路が未整備だった昔は春の到来察知に真剣だった。

 
 
アラスカ鉄道の軌道は幅が広く、
短足の私ではとてもまたげなかった。
 
  先住民の104歳のおじいさんと孫たち。
私たちも長寿を願って握手をしてもらった。
おじいさんは難聴で呼吸器系も患い、
健康法は聞けなかった。
 
  テキサスからきたハレー・ライダーは、
完璧な服装でピッカピッカの1340cc車!
 
  冬の犬の餌用としてサーモンを干す。
試食をしたかったが人間用はなかった。
牛肉等が豊富なため、 臭い魚も干せば人間の食用になる、
という発想が欧米系人にはないみたい。
サーモンステーキは23ドルだった。
 
  昔のサーモン捕り水車。
今は使われていないが、面影が残っている。
 
  アラスカ山脈のデナリー公園は延々と続く。
途中の景色は残雪をまぶしていて、しびれる!
デナリーとは先住民の言葉で「広大な土地」という意味。
地名には先住民の言葉からとったものが多い。
 
  氷がまだ解けない湖。
でも車内は半袖で十分だ。
夜も車内の温度は快適快眠。
 
  マウント・マッキンレーは北米大陸の最高峰で海抜約6,100m。
神々しく屹立していた。
亡き植村直己さんが永眠していると思うと胸がつまった。
植村さんは出発前にわが家でお会いしただけに、
いっそうその想いが強かった。
1泊50ドルのマッキンレー・ビュー・ロッジに泊まり、
部屋の中から夕日が落ちるマッキンレーの頂上を
心ゆくまで眺められた。
マキンレー・ビュー・ロッジはマッキンレーの南に位置し、
ルート3号西側沿いの一軒屋。
マッキンレーは一年中ほとんど雲に覆われており、
山の神に祝福された者のみが拝謁できる、と思うが。
いつでも、誰でも見られると勘違いしないこと。