日本を長期間離れ、外国人の振る舞いを日夜直視してきた者にとって、帰国後の日本人と比較し ていると、日本人がよく見えてくる。 一方で、しばらくぶりに見る日本人は、当然、10年前の過去と比較して見るので、変化はわか りやすい。帰国後は、動物園の動物でも見るように、これまで毎日つきあってきた他の民族と目前 の日本人を比較し、よく観察したものである。そして、日本経済のバブル時代は、まるで私が異端 児のように、周囲の人に耳にタコができるほどいったものである。「今の日本経済は異常である。 土地価格にしても、それだけの生産性や付加価値はない。今踊っている人は、将来、必ず詰め腹を 切らされるから、見ていろ」と。結果は、予想どおりになった。 また、人間はものごとが少し変化しても、多数が不変ならその影響が分かりにくく、国内の人に は気づきにくいが、ひさしぶりに故郷に帰った浦島太郎には、よく見えるものである。いわゆる 「茹でガエルの現象・法則」に酷似している。変化の内容がとるにたらないものならよいが、新た な対応を早急に迫られるものは看過できず、当然、警鐘を鳴らしたくなる。小さなことでも、それ が積み重なって、大変化してから初めて気づくのでは、遅すぎることがあるから、である。丁度、 カエルが入っている器を少しずつ温めてゆくと、少しの変化には対応力があるため反応せず、つい には熱すぎて死んでしまうように。 逆に、大切な変化事項を確認できると、「無変化事項の喫緊の課題」も見えてくる。問題は「国 政を担った経験が少ない国民の弱点」である。 継続して約9年間、外国で考え、そして、帰国後も考えさせられた日本人とは、世界の民族、と りわけ先進国人と比べてどうなのか、というアイダンティティの話である。 帰国後、よく「日本は変わったでしょう」等と、その変化ぶりを、ひさしぶりに日本を見ている 私に再確認するかのように聞かれたが、話題にされる事柄では、私と相違するものがむしろ多かっ た。おかしなことに、ほとんどは日本人の変化に対する指摘で、不変な事柄には、例えそれが重要 なことでも、まったく無頓着なのである。変化についていえば、表面的には変わったように見えて も、じつは人間が変わったわけではないのである。 例えば、ある犯罪現象等をとらえて、日本人のふるまいがここまできてしまった、等と知識人が テレビ等で驚いて発言しているが、なぜ「種々の環境・背景・条件等も異なる過去の現象が、すべ ての現代の基準で、そこから一歩もでないままなのか」ということである。人間や日本人が持って いるものは無限に近く、そのほとんどは未知数で、過去に現れた現象は、過去のある環境・背景下 でおきたことであり、それも人間が本来持っているもののほんの一部だから、これを基準にものを 見るのは誤りだ、というのが私の見方である。人間が持っているものは、今後、豊かさ・科学技術 の発達・国際自由化・情報速度のアップ等の環境・背景・条件等で、未来永劫、徐々にその情報が 開示されてくるのであり、それを当たり前としてとらえるべきであり、新たな思考でそれにどう対 応すべきか、が問われている、と思う。オーム問題、理由なき殺人、登校拒否、校内暴力、離婚、 ネズミ講、幼稚化する成人式、怪しげなカルトの餌食になる幼さ---は、みんな本来人間がもってい るものが、新たな条件下で発現したものである。1切れのパンは命を支え、2切れは幸せを、そし て3切れ以上は毒になると偉人がいったが、私の見方は違う。3切れ以上、つまり豊かさは、人間 性がより奔出され、これまでに経験しなかった現象がプラスまたはマイナス方向へ、同時にでると いうことである。 今回は変わったことには触れず、特に「変わらないことで、現状にはマッチせず、私には危機に 陥っているように見える」ことに警鐘を鳴らしたい。ほとんどの人は「日本人が変わった点、変わ らない点、両面のプラス面、マイナス面、どちらともいえない面」等を深く考えたこともなく、そ の上での世相観だと思う。これらを考えたこともないから、それらの分析で何が大切であるか、こ のまま継続していくと何が安心でき、何が危機なのかも分からないのである。 当面、危機感を抱いているのは、過去には未経験だった空前の「国際貿易自由化」「人・物・金 ・情報等の移動速度のアップ」「国際分業のスピードアップ」「私生活とグローバルの直結」「経 済の肥大」「安い物流システムと物流速度の飛躍的向上」等に直面していながら、その大変革と影 響・重要さに気づかないでいることである。そして、あいかわらず「島国感覚」「鎖国性」「村の 経営でさえ庄屋さんしかタッチしてこなかったため、国政は到底無理なレベル」「歴史的に、村で は和を強制されて正義はタブーとされたから、自分でマツリゴトを考えることが苦手で、堂々と自 己主張ができない国民性」「論理構築は不得手で、情に支配されやすい性質」「村の周りには関所 をつくって自由な移動を許さなかったから、庄屋さんに逆らって和を乱して村八分になると、生き てゆけなかったため、見ざる・聞かざる・いわざるの政治オンチ習性に徹底的に慣らされてしまっ た大衆」「武士は上司に対して、たかが主義主張を述べるのに、切腹さえ覚悟しなければならなか った」等を引きずって、GDP約500兆円という超巨大な日本丸を、効率よく操舵できないこと である。 かつて、第2次世界大戦の戦勝国であるアメリカのマッカーサー司令官は、前時代的で稚拙な日 本人の国政能力に言及して「日本人は12歳である」と日記に記したと流布されているが、今でも 傾聴に値する名言であり、誰もが胸に手を当て、熟考すべきである。そして、今も、何をすべきな のかを。 ○ 日本の旧憲法は至上の権威をもった、神聖にして侵してはならない天皇に発し、その天皇から 権力を委ねられた権力者を経て下部ヘ通じる、という世襲制の独裁者の下に国民が仕えていた。 (1946.1.1に天皇は人間宣言をした。‥‥私は国民と共にあり、その関係は、お互いの信頼と 敬意とで結ばれているもので、単なる神話や伝説に基づくものではない。私を神と考え、また、 日本国民をもって他の民族に優越している民族と考え、世界を支配する運命を有するといった 架空の観念に基づくものではない‥‥。) ○ 国民は憲法の支配者ではなく、主権者でもなかった。 ○ 国民に基本的人権はなかった。そのような先天的な人間の権利の存在を知らなかった。 ○ 女性は選挙権も被選挙権もなかった。 ○ 女性の職業選択の自由は極端に限定されていた。 ○ 女性の労働組合員は皆無だった。 ○ 女性の賃金は男性と差別されていた。 ○ 女性は出産休暇がなかった。 ○ 女性は結婚、離婚、姦通、契約結婚、メカケ等で差別されていた。 ○ 男女共学はできなかった。 ○ 国会、内閣、裁判所の三権分立がなかった。 ○ 思想警察、憲兵隊が言論、集会、思想の自由等を抑圧していた。投獄された者は6万人を超えて いた。 ○ 不当な逮捕や拘禁等を防止した人身保護法がなかった。 ○ 日本の生産配給手段は10の財閥・家族に90%支配されていた。 ○ 労働者は組合をつくることを禁止され、団体交渉権もなかった。 ○ 神道には国家助成があった。 ○ 政治と宗教が合体していた。 ○ 学校は中央統制で国定教科書しかなく、教育委員会というものがなかった。 ○ 先進国では絶滅しかかってた天然痘、ジフテリア、チフス、パラチフス、コレラ、赤痢、結核 等が全国的にはびこっていた。 ○ 農地の大半は大地主が所有し、農民の大半は農奴や小作人で、法外な小作料で貧しかった。 ○ 小作人は農地を買うことを禁止されていた。 ○ 耕地面積は国土の16%で、自給自足では食えなかった。国家は飢える前に生き延びる手段を考 え、植民地獲得競争へ奔走した。 以上のことから、他国との関係が薄かった平和な政治不得手島国人を、一刻も早く現状に対応で きる国政能力に長けた国際人にする長期プロジェクトを立て実行しなければならないと思う。さも なくば、過去の諸条件が崩れたのにこれに適切に対応しないため、今後の混乱は必至である。どう やら、自然は、経験のない人間には学ばせないように、人間を造ったらしい---。 例え借金を約1,000兆円もして、子孫にまでそのツケを負わせようが、自然な流れで再構築され る世界の分業の実態や、後発国の追い上げを正しく認識しない日本人の質からして、かつての栄華 に戻るのは不可能に近い。戦後の繁栄は、たまたま敗戦ですべてが失われて逆に空前の需要が発生 したから、それだけの生産能力があったから、戦後の半世紀は植民地や戦場化した開発途上国がま だ「新国際経済戦争」に参加できなかったから、日本支援が国際政治の上で戦勝国であるアメリカ の国益に合っていたから---、成就したのである。 しかし、今日の国際政治経済を取巻く諸条件は革命的に変化し、いままでのやり方では日本の役 割は縮小し、経済的なシェアーは激減するばかりである。ようやく目覚めたかつての開発途上国は、 日本がつくるものはたいていできるという製造能力のアップ、日本より豊富な資源の活用や安い労 賃等で、今後ますます追い上げてくるだろう。かつて、イギリスの繊維を、そしてアメリカの鉄や 自動車を追い上げた日本のように。ちなみに、借金1,000兆円は、1万円札で積めば高さ約10,000 km、国民1人平均では約787万円の借金、1家族では約2,500万円の借金である。これでは、年金 制度の機能不全や、医療費高騰等を予感しないほうが不自然である。 戦後は、まずブリキのオモチャが輸出品の先陣を切り、メシのタネの象徴になった。当時は誰も が「しょせんは次世代ではこれで食えないから、安い原材料を輸入して世界の市場が待っている新 商品を模索し、先行投資した」。そして、これがその後の半世紀の栄華を呼びこんだ。比喩的にい えば、この栄華に慢心し、明日の世界経済分業事情は激変しないと決めつけ、先行投資を怠り、あ いもかわらず「このブリキのオモチャ(現在は車等)の売行きが悪くなった。どうしよう---」と いうのが、今の日本の姿である。日本人は、過去の栄華で慢心したとはいえ、なぜ次世代の飯のタ ネをさがすべく、あらゆる情報、とりわけ人・物・金・情報等の移動のスピードアップ化等の空前の 変化が日本経済に与える影響、海外の競合国や競合者の意思・戦略・戦術等と彼我の持てる能力の 推移、国際市場の動向等を前提に、短中長期経済の青写真を描き、町工場のお父さんに早目早目に 伝えないのだろうか。日本の個人農家対海外の巨大農業集団の闘いで、勝ち目はあるのか。コメの 輸入関税490%は異常ではないのか。国際分業と国のライフラインの整合のコンセンサスは、国 民に徹底されているのか。国際分業が猛烈な速度で進む中、日本が効率的に関われる次世代の商売 のタネは何か。国内の生産性等の改善は当たり前として、それらの日本の位置付けと役割を見出し、 国民を巻き込んだ経済計画に反映しているのだろうか。シンガポールは戦後すぐに、命の水でさえ 隣国にほぼ100%ゆだね、加速化される国際分業下での生きぬき方を策定し、急速に進歩してき た。日本の外貨準備高は対GDPに対して20%だが、シンガポールは数百%である。 このようなことから、熊さん八っつぁんが核兵器使用や原発のあり方に一家言を吐けるまでは、 世界のリーダーは無理である。せめて国民の半数が、何らかの自分の意見を持てるまでは、憲法改 正も国連の常任理事国立候補も無茶である。憲法9条を見れば明らかだが、現実は国会の過半数で 憲法を反故にし、最高裁は判断を停止・放棄し、法治国家に背反して法治国家とすましているてい たらくである。開発途上国の国家予算をも上回る年間5兆円、戦後の合計は百数拾兆円という世界 でもトップクラスの膨大な軍事費で、過去とは桁違いになった破壊力を持った軍隊のシビリアンコ ントロールは、しっかりした国民の知性・理性・自覚---が必要である。しかし、残念ながら、それ だけ大切でありながら、肝心要の「国民の資質の向上」に使ったわけでもなく、まだまだ無理である。 過酷な歴史を体験したイスラエル人に比較すれば、日本人は余りに幼い。第2次世界大戦前のように、 国政はすべて、誰かにお任せにするしかないのが、日本人のレベルである。幼い有権者・マスコミ・ 評論家・為政者等は、憲法改正には耐えられず、幼さを是正しないで憲法違反でさえ、黙認している 有様である。 某大手新聞の連載記事によれば---、昭和天皇の側近の日記によれば、戦後、昭和天皇は「私に は、戦争を止めることはできなかった。ナゼ、国民は無謀な戦争を止められなかったのか」と、 その誤りに突入していった国政のシステムや国民の判断に疑問を呈していたという。残念ながら、 ナゼについては言及されていなかった。戦争を止める能力はあったのかなかったのか。あったなら ナゼ止められなかったのか。なかったならナゼなかったのかの痛切な反省がなければならない。 それがないのが政治思考去勢型日本人であり、戦争やその原因となった不景気を克服するなら、 本来、誰もが熟慮して教訓を引きだし、対策を共有し、実行しなければならない最重要課題なのに、 である。 また昭和天皇は、富田朝彦宮内庁長官のメモを通して「A級戦犯が靖国神社に合祀されてしまっ たことは不愉快。それからは参拝にゆかないことにした」と「天皇の心」を残した。戦争仕掛け人 である加害者と、やむなく戦争に駆り出された被害者とは一線を引くべきだというのは国民の気持 ちと一致する。国民に戦争責任追究能力がなければ、戦勝国の軍事裁判判決でも受忍しなければな らないのである。(靖国神社第6代宮司:松平永芳が1978年(昭和53年)に合祀) 平成天皇は「昭和初期に、民主的に選ばれた政治家を軍人が抹殺し、軍事化へと進んだ」と、日 本国民の「国を治める能力の無さ」に警鐘を鳴らした。 かつては、満州の権益を守る等という名目で関東軍の石原莞爾等が満鉄爆破等の謀略を図り、結 局、幹部は「やってしまったのだから仕方がない」いって追認した。村社会の典型である「ことの 是々非々で責任追及と処罰より、人間関係の情を優先させて方針を決定」したため、泥沼の戦争へ と突入してしまったのである。原爆では、広島で22万人余、長崎では12万余が亡くなった。 半世紀以上経った今も引きずって死に追いやられているのに、戦争仕掛け人を裁判にかけるわけで もなく、真因をしつこく追究するわけでもなく---、極めてあいまいに敗戦処理をし、肝心の再発防 止策さえ共有していない奇特な国民性である。現在でも、立候補者の政治能力や情熱とは無関係に、 単にマスコミ上での有名人や、単に2世というだけの議員が、国権の最高機関である国会を凌駕し ている姿が、それを如実に物語っている。お笑いタレントの横山ノック氏は大阪府知事時代、卑猥 な行動等、その悪行で幼い国民を完全にノックアウトしたが、国民の政治レベルの低さを証明した 良い事例であった。それでも、マスコミの絶大なる効用を信奉する者は、あらゆる機会をとらえて 画像・紙上等に登場して議員当選・議員歴の延命を図っているが、あさましい限りである。 日本人とは、明日の生活の糧である中長期国家経済の青写真さえ要求しない、マツリゴトとは 無縁のムラビト集団である。従って、自己改革もなく、国民全員が明日の生活基盤の青写真を知ら ないで、ただ、いつか、なんとなく過去の栄華に戻れて---、等と錯覚しているのである。ブリキの オモチャの輸出減少から始まり石炭、造船、繊維、弱電、鉄鋼、漁業、農業、林業---、それらに 連動する中小企業の衰退運命も、いやというほど知らされながら、決して明日を読んで事前に対応 しない日本人。公共職業安定所は、一定のセーフティーネットを張りつつ、次世代産業要員育成所 とすべきである。 国は各省庁にある情報収集・分析・活用等の部署を統合し、民間の手も借りて、「情報省」を新 設すべきである。世界最大のモンゴル帝国の情報網はみごとだった。現代の世界の覇者ともいえる 米国の巨大情報機関CIAも驚嘆している。弱小だった織田信長が天下をとれたのは、とにかく情 報を集めて、これを生かしたからである。戦の後では、敵の首を沢山とった者より、価値ある情報 をもたらした者により多くの恩賞を与えたというのは、よく知られた史実である。豊臣秀吉、徳川 家康、毛利元就---みんな生死を左右する情報を積極的に集めて生かした。世界中の政治・経済・ 気候---等、あらゆる情報を集め、日本企業等の戦略戦術に寄与すべきである。海外での大型商談 入札での勝因・敗因は、他の企業等には知れず、勝因は参考にされず、敗因は他の者が同じ愚を繰 り返してはいないだろうか。中小企業の経営者で、明日を読める人は、どれだけいるのだろうか。 こんなことでいいのだろうか。 同属・農耕・鎖国社会下のムラ文化の特徴は、言葉にもよく表れている。そして、これが政治・ 経済のグローバリゼーションと人・物・金・情報・技術等の超高速化ににおける国家経済運営等に 大変な障害になっているのである。 @ 国内では、人々の主語を省略しても通じる会話だが、異民族が共生する外国では常に適切な表 現をしないと正しく伝わらず誤解されやすい。 A 国内では、人々に対する敬語が複雑で、デリケートな人間関係に腐心するあまり、外国ではこ れが災いして自己主張が正しくできにくい。 B 国内では、以心伝心、阿吽(あうん)の呼吸でも通じるが、外国では通じない。 C 国内では、正義より和を尊ぶため、ものごとは大切なものでも曖昧にして済ますことが少なく ないが、外国では是々非々で進めることが多く、ディベート等は苦手である。 かつては、@政治能力のない国民→A経済失政→B世界を知らない島国人の海外植民地政策→ C戦争→D内外の壊滅的打撃、のプロセスをたどった。世界第2の経済大国に求められているのは 「内外の政治・経済能力と国民の質のバランス」であり、この乖離が大きくなるほど、危険である。 先の大戦で、心ならずも命を投げ打った方の心からの叫びは、日本人が平和的に国の経済・政治等 の運営に勝利することであり、もし日本人の質に反省しなければならない部分があれば、それを謙 虚に見なおしてもらいたいことだと思う。鹿児島県南部の知覧町にある(カミカゼ)特攻隊記念館 で数えられる1039人の遺影は、日本人の長所の維持・向上より、むしろ1日も早い短所の克服 をわれわれに促しているように映る。 坂本竜馬、吉田松陰、渋沢栄一、白洲次郎等の活躍は多くの日本人が尊敬している。では、彼ら に共通する事項は何か?それは、先進国のシステムや技術等を学んで危機感を抱き、タイムリーに、 果敢に、実現させて日本に貢献したことである。 サムライ精神は、概ね世界から尊敬されているが、ちょんまげ廃止とともに全員が政治とは無縁 の旧町人や旧農民等になってしまった。あの魂はどこにいってしまったのか。今一度、あの崇高な 精神を呼び戻したいものである。 ただいま地球は経済戦争まっただ中