オーストラリア@(オーストラリア西)

1.オーストラリア西   2.オーストラリア東   3.フリーモントル港   4.最後の大陸に下船 5.車の輸入手続

3.シンガポールから船で西オーストラリアに近づくと、紺碧の空のもと、左手に平坦なサバンナが見え、最後の大陸に胸が踊った。パースに近づくと、土曜のせいか、無数のヨットが無人島のロットネス島間に走り、豊かさや開放感が伝わってきた。そして、フリーモントル港で見る大きな看板「ウエルカム・トウ・ウエスタン・オーストラリア」。かつて、いくたびか、移民者を大きく鼓舞してきたのであろう。世界一周車にとっても、心境は同じであった。

4〜5.上陸には、さまざまな手続きを踏まなければならない。港湾使用料27オーストラリア・ドル(1USドルは0.8オーストラリア・ドル。以下、同じ)支払い。検疫のため車をトレーラーに乗せて洗車室まで運び、消毒料37ドル。車検証は期限が切れているから、車検をするために修理し、約100ドル。ナンバープレートを新しいものに交換して○○ドル。交通保険が○○ドル。オーストラリアは左側通行だから、左ハンドルの車は[LEFT HAND DRIVE」というステッカーを貼らされて、これが○○ドル。オーストラリア自動車クラブで、カルネの延長手続きをしてもらう代行費○○ドル。その際のべルギーの自動車クラブ会員費○○ドル---。あまりの出費に財布が軽くなり、日本の約21倍の大陸走破に向けて、心細くなった。タバコはやめた。ただ、ガソリンは1リットル13.5セントと安く、食料も1日数ドル以下で収まりそうだったので、その点は大変助かった。で

 ここからは、中東のペルシャ湾に向けて、ライブ・ストックと呼ばれる、生きた羊の専用船が出港していった。なにしろ、羊の数は人口より多くて世界一で、再生可能だから無限の資源である。かつては、日本の捕鯨船が必ず立ち寄るところで、捕鯨が厳しくなった今では、マグロ漁船のみがいた。また、滞在中は、日本の海上自衛隊の戦艦”たかつき”と練習艦”かとり”が親善訪問して、一般公開されていた。パースには日系婦人が約80人いて、ほとんどは幸せに暮しているとか。かつての白豪主義は、徐々に色あせてゆくように見えた。

6.州都パース      7.アフリカ以来の再会 8.旅の友        9.オーガスタの灯台  10.キャンプ設備は

6.郊外の高台にあるキングスパークから、清潔なパースを望む。アメリカのカリフォルニア州に似た乾燥した気候、広大な農地と牧場、恵まれた鉱物資源、豊かな海、少ない人口、自由と開拓的な気風---で、住みたくなる地の一つである。悩みの一つは、牧畜地帯特有の家畜の糞等にむらがる、ハエの多さである。町ではさほどでもないが、地方では昼の間つきまとわれて、これらに神経質な人は、逃げだすだろう。

7.アフリカ、アジア、ヨーロッパでは、多くの欧米人自動車旅行者と会ったが、人口比からいえば、オーストラリア人とニュージーランド人が最も多かった。ワーキングホリデーの土地柄や、世界の文化圏から隔絶されているために、また家庭に落ち着く前に世界を見聞する、といった若者の志向がうかがえた。”同好の志”の仲間意識は外国人の間でも固く、情報交換や問題解決には最適であった。イギリス文化と開拓者魂を併せもつ彼らは明るく、自由で、ユーモア好きで、ゆく先々で誰とでも大変ウマが合った。

8.アメリカのカリフォルニア州からきたジョンとサンディーとは、パースから東岸のブリスベンまで一緒に旅した。

9.オーガスタは静かな小村で、目前は南氷洋。8月の真冬は雨が多く、セーターが必要である。南十字星は、オーストラリアのほぼ全土で見られる。

10.オーストラリアには、大小のナショナルパーク(この国では州立公園の意味。以下N.Pと記す)が全土に無数にあり、些細なものから圧巻まで、いろいろある。観光およびワーキングホリデーのための自動車旅行者が多く、車がすれちがうと同好の心情から、ヘッドライトを点滅して挨拶をかわす。主な観光スポットには必ず、設備が整ったオートキャンプ場がある。おそらく世界一で、これは自慢して良いだろう。肉類・野菜・果物は安く、バーベキューコンロに10セントを入れるとガスがでて、料理ができる所もあった。雨が適度に降る南部では、ジャガイモ6kg1ドル、タマネギ9kg1ドル、リンゴ10kgを2ドルで買ったが、おじさんはイタリア語しか話さなかった。野草のワラビもけっこう生えている。「オーストラリア一周の旅」という食事・宿・足つきのバスの旅は、5週間で850ドルだった。

11.黒鳥          12.エミュー       13.同左         14.ワラビー       15.カンガルー

11.オーストラリアやタスマニア島の原産で、黒白鳥ともいう。

12〜13.ビール用のホップ?畑で憩うエミュー。ダチョウの足の爪は2本で、卵の殻の色は白だが、エミューの足の爪は3本で、卵の色は黒色。英語の「EMULATION」は競争心、対抗心といった意味だが、エミューと近くで出会うと、驚いて、ときには車と競争するように並行して走るので、突然、前を横切らないかとハラハラする。そういえば、アフリカのダチョウやアルゼンチンのレアも、ときどき同様に走りだした。今では絶滅したが、昔はこの3〜4倍も大きなエミューのような鳥が疾走していたというから、原住民(当時いたか?)には捕獲できたかな?また、これらがなぜ絶滅したのかは、興味をそそられる。

14.カンガルーを小型にしたような有袋類動物。コアラ・カモノハシ・ウォンバット等は滅多に見られない。コアラとは、アボリージニー(原住民)の言葉で「水を飲まない」という意味だとか。水分は、ユーカリの葉からとっている。

15.オーストラリアには、赤ちゃんを腹の袋のなかで育てる、有袋類が多いが、42種類いるというカンガルーも同じである。町や耕作地にはほとんどいず、アウトバックといわれる広大なブッシュに2000万頭もいる。肉屋ではカンガルーの肉を見かけなかったが、シドニー等の都会ではステーキもいただける。

16.ディンゴー      17.ユーカリの木    18.名称不明の木   19.カンガルーポーの花 20.鍾乳洞見学

16.この国に持込まれた馬、ラクダ、ロバ、水牛、ヤギ、犬、ネコ等は野生化して、キャンプ地にエサをねだりにきたりして、ときおり見かける。大陸中央のアリスプリングでは、ラクダのレースが観光客のアトラクションになっている。犬はディンゴーと呼ばれており、家畜を襲ったりするので嫌われている。犬にとっては自由と人間に飼われるのと、どちらがよいのだろうか。ウサギ、カンガルー、ワラビー等は家畜の草を食べるので、これも牧場の厄介者だった。マングースはヘビ退治に輸入したというが、見かけないところから、「逆に、ヘビのエサになったのではないか」とは、オーストラリア人の半信半疑のジョークである。

17.この地の原産で、約600種類、高さ100m以上になる種類もある。乾燥地でも比較的強く、育ちが早いので、ポプラとともにアフリカのスーダン、ナミビア、エチオピア、南米のアルゼンチン等、世界中で植林されている。ペンバートンには製材所があり、高さ80mで1本4000ドルといっていた。このような林にはクッカラバ(笑いカワセミ)がいて、人間の笑い声のようなユーモラスな鳴き声がときどき聞こえる。オーストラリアの乾燥地ではほぼ全土に、極彩色のインコがたくさんいて、ときにはうるさいほどだった。

18.最も古い大陸、ということで、オーストラリアには珍しい木・草・動物・魚等が目をひく。

19.西オーストラリア州花

20.約4万年前のアボリージニー(原住民)、トラ、カンガルー、ヘビ等の骨等がある洞窟「マンモス・ケイブ

21.マンモス洞窟     22.クジラ処理工場  23.カンガルーの死体 24.トカゲの一種?   25.潮吹き穴

21.鍾乳洞はライトアップで大変美しくなる。

22.南氷洋に面した港町で、人口6000人のアルバニー。郊外では、この国唯一のクジラ処理工場があり、年に9か月間操業し、約700頭を解体していた。肉は他に牛・羊・豚等でありあまっているから、主に鯨油を取っており、大きな貯蔵タンクが10位あった。丁度、捕鯨反対派が押しかけてデモをしており、取材するマスコミとともに騒ぎになっていた。

 私は、世界が共有する地球の再生できる資源は、絶滅させない範囲内で、活用できるようにすべきと思う。その際、自国の文化観は他に強制すべきではなく、すべての生き物が神である国も、それをもって他国に押し付ける道理もないと思う。雨が適度にふり、小麦や牛肉等、他にいくらでもある食料に恵まれた豊かな国の論理を、雨に恵まれない貧しい国が、これを押しつけられる道理もない。クジラおよびクジラが食べるオキアミ・イカ・魚等も、人類にとっては貴重な食料である。

 国際捕鯨に関する会議の大半のメンバー国は、もともと捕鯨に反対だから、高額な予算をつけず、多くの労力を払わず、各種の調査さえしないままでの発言である。常々、相手にフェアーの精神を要求する国が、これはアンフェアーであり、説得力がない。国際社会による管理捕鯨に関心がある国で、多額の金を使ったある調査によれば---、クジラは75種類、そのうち数がわかっているものは37で、これだけの調査でも、クジラが食べる量は、人類が年間に食べる量8千万トンより多い、2億5千万〜4億4千万トンという。世界人口の過半数をしめる貧しい国では、食料確保の選択肢を広げないと、限定された食料の値段が高騰し、現在でも貧しい食事をさらに落とさなければならないのである。動物保護等の美名のもとに、食料の選択肢を狭め、豊かな国の肉・大豆・トウモロコシ等の生産品の値段を維持・高騰させ、結果として自分達だけが潤えばよい、というのは共存共生でなく、いただけない。単に、クジラ捕獲反対のオクターブが高いからといって、これに左右されてはならず、無言のひもじい民のいいぶんにも配慮すべきである。アフリカのピグミーは、突然、狩猟を禁止されて悲鳴を上げていたが、その声はマスコミには届かないのが残念である。

 アフリカのマリでは、家畜の飼料にでもするような”乾燥した小魚のくず”を煮て、ご飯にかけて食べていた。これでも、栄養の足しにはなる。食料確保は喫緊な課題であり、子供達は待てないのである。ここに”乾燥したオキアミ”でも安くとどけば、人類に大きく貢献すること間違いない。必要な栄養が少しでもゆきとどけば、計り知れないプラス効果が期待できる。飢餓の緩和、栄養失調による死亡・病気・失明等の減少、就学率のアップ、出稼ぎ減少、女性の地位向上、流産の減少、健康児の出産率アップ---。私自身、戦後、もしユニセフ(国連児童基金)による脱脂粉乳等の支援がなければ、このような健康体で世界を徘徊できたか疑問である。

23.オーストラリアのドライブで気をつけなければならないのは、このカンガルー、ワラビー、牛、エミュー、羊、キツネ、タヌキ、ウサギ等との衝突である。長い直線道路に車は少なく、飛ばしていると、道路脇にいる牛等は動かないことが多いが、安心して速度を落とさないと、突然道を横切ることがあり、ヒヤリとする。カンガルーは最高時速約70kmで、エミューはそれ以上で突っ走ることがある。ウサギは夜行性だから昼はいないが、夜はヘッドライトを反射して目が光る。ウサギにはかわいそうだが、急ブレーキを踏まず、ハンドルも切らないで跳ね飛ばさないと、自分が横転する。パースから北に向かっていたとき、このような衝突から放棄された車を道端で85台まで数えたが、あまりの多さにカウントをあきらめた。タイヤも同様に、たくさん放棄されている。

 無惨な姿といえば、道端に投げ捨てられた空缶や空瓶の山も同じである。これが全オーストラリアに、それこそ世界の自然遺産である、グレートバリアリーフのサンゴ礁の間にもあるのだから、汚い、を通り越して圧巻というほかなく、国民性を物語るのか、状況が同じならすべての民族に共通するのか、と思う。私は後者だと思うが。ただ、これらがときには強い日差しを反射して野火を起こし、大切な家畜の牧草を焼き尽くし、たまには住宅にも迫るのだから問題だが。

 ロードトレインと呼ばれる、20トンクラスのトラックが3〜5両連結したような大型トラックも危険である。赤土道でこの対向車がくると、数キロ先に大きな砂煙が舞い上がるから、おとなしく脇によってやりすごす。後部から、どでかい警笛を鳴らされ、追いぬかれるときも同様である。それでも風圧であおられるのだから、下手に対等意識をだしたら結果は明白である。体重500kgの牛が何頭いようが、頑丈なバンパーでぼんぼん跳ね飛ばし、道端にはそれらに跳ねられた無数の死体が転がっている。これらには必ずハエが卵を生み、うじが沸き、やがてひからびて骨と皮だけになる。おそらく、億の単位になるのではないだろうか。カンガルーの歯を調べると、上は4本、下は2本だった。

24.オーストラリアのアウトバックでは、キャンプ・スペースや薪はいくらでもあるが毒蛇、サソリ、トカゲ、山ネコ、トゲのある草(火をつけるとよく燃える)、野火等が危険なので、テント生活は場所を選ぶ必要がある。トイレの場所選定も同じである。エリマキトカゲは滅多に見かけなかったが、恐竜の末裔ではないか、というような背びれがある、古風な容貌をしたトカゲ類は、何度も見かけた。

25.カーナーボンの北約80kmのブローホールズ。磯の岩場の下が波で侵食されて空洞になっており、ここに波が入ってくると岩場の隙間や穴から潮が吹きあがる。イルカ・エイ・海亀等が再三現れ、スズキのような大きな魚が小魚を追い、100〜300m先の沖合いではクジラが潮を吹き上げていた。ここはすばらしい釣場と磯遊び場で、1週間滞在した。

26.絶好の磯釣場    27.絶好の磯遊び場  28.海釣天国     29.ラテライト=赤土道 30.鉄鉱石の露天掘

26.オーストラリアの海岸線は、人口に比べてとてつもなく長く、釣人には楽しませてくれるスポットがいたるところにある。このブローホールズ付近もそうで、磯釣用の釣竿がなかったので、道糸にオモリ、ハリ、肉のエサをつけてふりまわし、岩場から遠心力で投げ入れると入れ食いで、引きが強いときは手指を道糸で何度も切ってしまった。ただ注意が必要なのは、ときどくくる大波(キングウェーブ)、海蛇、サメ、電気クラゲ、カサゴのような毒魚ストーンフィッシュ等である。底が砂地の所では、肉をエサに白ギス、サヨリ、エビ等が釣れた。川が海に注ぐ河口や、海水と淡水が混じった汽水地帯は、やはり良い釣り場であった。淡水と汽水で釣れるバラムンディ(スズキ科)は体長1m、重さ20kgもあるのがいる。

 砂浜には砂イソメがいた。アボリージニー(原住民)は、砂上に数ミリ頭をだしたイソメを、なんと足の親指と人差指で挟んでとるのである。これにはすっかり驚いた。

 @ イソメがいそうな波打ち際の砂浜上で、糸に魚のアラをつけて、波が引き終わる頃左右にふる。
 A イソメが匂いやエサにつられて頭を1〜2ミリだす。
 B イソメの居場所がわかったら、イソメに別の上等な魚肉片を食いつかせる。
 C 片足をそっとだして、足指の間でイソメを挟める体勢をつくる。
 D エサを少し持ち上げて、夢中で食いついているイソメの頭を3〜5ミリ持ち上げる。
 E タイミングを見計らって、足の指間で挟み、足を上げて砂の中から引きぬく。
 私は、足指では100%不可能だから、手指や毛抜きを使ってみたが、頭がちぎれたりした、わずかしかとれなかった。このエサの食いが良いのはここでも同じである。

 アメリカ海軍の巨大なアンテナが、インド洋をにらむエックスマウスの岬。大陸中央の、アリス・スプリングス南方のパインギャプというところには、アメリカ軍の秘密基地があるというが、不気味である。
 ここのエックスマウス湾では、2〜11月がエビの漁期で、1隻が1晩で約500kgとり、小売は1kg4ドルだった。満月を挟んだ1週間は、エビは砂中にひそんでいて獲れないという。また12〜1月の夏季には、湾からどこかにいってしまい、まったく獲れないというので、レアモンスの漁港は管理人だけが残り、漁師はみんな車で故郷に帰ってしまうという。

27.河岸段丘状の岩場ではナマコ、サザエ、イセエビ、タコ、ウニ、シャコ貝等が待っていた。誰も獲っていないらしく、ごく自然な状態でたくさんおり、狂喜した。潜ればアワビもいるのではないか、と思われた。ただ、ここでも注意が必要なのは磯釣りと同様である。

28.つり舟で釣ってきた魚を、砂浜でさばいていた。スパニッシュ・マッカレルといっていた。(さわら)

29.オーストラリアの道路は、交通量が少ないわりには、舗装も未舗装も比較的手入れがゆきとどいている。ただ、巨大なロードトレインが通る赤土道は、表面が規則的に波を打った”コルゲーション=洗濯板道”になっており、速度をだすと車が傷むから、時速40〜60km位でゆくしかなく、忍耐を強いられる。ショックアブソーバーは、予備が不可欠である。この土壌は、鉄やアルミニューム分を含んでおり、例えエアーフィルターでろ過してもエンジンに入ってきて、ピストンリング等を磨耗させる。エンジンルームは1日走行で真っ赤に汚れるから、エアークリーナー等の手入れは毎日必要である。さもなくば、未舗装道はほぼ無人地帯を意味しているから、車の故障は命取りになる。このような僻地にぽつんとあるロードハウスやホームステッドは、車の修理、食料や水や燃料の調達、情報収集等ができて、まるでオアシスである。自家製のアイスクリームにめぐりあえたときは、感激した。

30.ブッシュの背丈が低くなり、半砂漠になると小さな竜巻をよく見かける。北部の鉄鉱石の積出港ダンピアーから内陸部に475km入ると、半砂漠のなかにトムプライスという鉄鉱石の露天掘りをする人口4000人位の人工村がある。ここでは、ワーキングホリデーの労働者を確保するためにいろいろな設備がととのっており、プールや植物園もあった。簡単な自動車の修理は無料である。無料の案内バスで、鉄鉱山の露天掘りを見学した。

 40平方kmに800万トンが埋蔵されている。純度30%以下の鉱石は捨て、平均で64.5%以上の鉱石を3〜4cm角にして、1トン10ドル位で毎年日本に4000万トン輸出している。段丘状に削られた赤い岩山のあちこちで、ときどき岩山を崩すために「ドスーン!」と内臓をゆさぶるダイナマイトの発破が起こる。石炭、燐鉱石等の露天掘りも同じだが、大地をただ削って商売になるとは---、うらやましい限りである。近くにはニューマン、パラボードウ鉄鉱山もあり、すべて荒野に鉄道を引いて、貨車で運びだし、ポートヘッドランド港からも輸出している。まだ、このような鉱脈の調査が行われていない内陸部が大半だというから、このビジネスの将来は明るいだろう。ダンピアーには、溶鉱炉建設の話があるというが、国内需要に限りがあるこの国では、疑問である。

31.トムプライス鉱山   32.赤い渓谷      33.救急機サービス  34.無線学校     35.真珠の町ブルーム 

31.ジャンボジェット機が運べる重量と同じだけ運べる、という235トン積みのトラックは、オーストラリア製で2億円なり。タイヤは10本ついており、直径は人間の背丈の2倍もあり、こちらは日本製だった。タイヤには75%位水が入っているとか。どでかい掘削機とどでかいトラック。日本ではお目にかかったことはなかったが、南米チリでの巨大な農耕機械は、旧ソ連製だった。アフリカはザンビアでの銅鉱石運搬用トラックは、アメリカやドイツ製の巨大なもので、日本製は馬力が足りなくて頼りない、と嘆かれた。

32.鉄鉱山近くの無人の国立公園「レッド・ゴージ」は、鉄鉱石を含んでいるのか地層は赤く、風雨の浸食作用等でできた亀裂や谷が、大陸の古さを物語っていた。雨はほとんどふらない地で、この亀裂をつくるのに、どれほどの年月がかかったのだろうか。このような谷あいには、たいてい水があるので、古代からアボリージニー(原住民)や動植物の寄り合い場所になったことだろう。

33.鉄鉱石の露天掘り鉱山ニューマンから貨車で運ばれ、積出港になっているポートヘッドランド。ここでは、「ローヤル・フライング・ドクター・サービス」の基地を見学した。なにしろ、広大な地域に点在したホームステッドや集落では、急病やケガが起こっても、隣家さえ数百キロも離れていては、どうしようもない。そのために、飛行機を飛ばして、これらに備えるシステム、基地、病院等が必要なわけである。医師、看護婦、パイロット、無線技師等が24時間待機していた。
 一方、過疎地に入った人は、万一の際、無線でこれらの基地と連絡をとればいいわけである。簡易飛行場を備えたホームステッドも多い。オーストラリア独特のこの僻地支援システムでは、出動料は無料というから、国民の厚い支持があるわけだ。全国に14の基地があり、国土の3分の2をカバーしているという。

34.上記の無線システムは、子供の教育にも活用されており「エアースクール」という。

35.きれいな港町ブルームは、真珠貝の稚貝の採取と養殖、真珠貝からはボタン、ナイフやフォークの柄(え)をつくって、主にアメリカに輸出していた。肉の輸出港でもある。ラガーと呼ばれる3本マストの船は、約300トンの木造で、潜水服を着た水夫が、海底から稚貝を採取してくるのである。町にはチャイナタウンもあり、アジア人との混血が多い。最近は、ここでアルバイトをしてワーキングホリデーを楽しむ日本人旅行者もいる。ここでは、日本から22年前に移民してきて、ドックワーカーとして働いているマスダさんと会って、いろいろ話を聞かせてもらった。現地人の妻(アボリージニー=原住民とアジア人の混血)との間に8人の子供がいて、生活は楽で、さばさばした人間関係が気に入っているという。

 目前の海では、第2次世界大戦中の水上飛行機と戦闘機の残骸が、往時を忍ばせていた。うわさによれば、オランダの軍人がニューギニアかジャワ島から宝石類を積んで逃げてきた機は、日本の飛行機に追われてここまできたが破壊され、その後はアボリージニー(原住民)が宝石類をいただき、いまだ誰かが隠しているとか。満潮と干潮の潮位差は8mもあり、干潮時に磯にでたら、小タコを6匹つかまえた。
 ここのもう一つの売り物は、沖合い30mにある、1億3千年前の恐竜の足跡が、砂岩に残っているとのことだった。残念ながら年に1〜2度の大潮の干潮時のみで、見られなかった。いずれも、美しい港町のロマンに満ちた話である。

36.ブルーム       37.日本人墓地     38.ロデオ大会     39.原住民も見物  40.バオバブの刑務所

37.戦前は、3000人もの日本人が真珠ビジネスのために滞在し、ブルーム郊外の墓地には1000人の墓があるという。どの墓も、日本がある北を向いていた。

38.遊び場が少ない牧畜地帯には、牧童(ストックマン、ジャッカルー=新米者)たちのエンターテイメントととしてのロデオ競技場が、真珠の町ブルーム郊外にもあった。アボリージニー(原住民)にも楽しめる遊びである。

39.職のないアボリージニー(原住民)には、週80ドルの手当てが支払われていた。ジャッカルーの仕事では週120ドル稼げるが、週80ドルでも飲める上に、のんびりした生活ができるので、仕事はせず、ついにはアル中になってしまう者が大勢いた。村の酒売り場周辺では、男女ともに、彼らがビール片手に酔って、昼間から寝ている姿をたびたび見かけた。僻地では彼らに襲われることがあるのか、店と個人宅も全体を金網で囲っているところもあった。

 フィッツロイ・クロッシング村では、都会のゴミを全部ぶちまけたようなすさまじい光景に驚いた。主に、彼らが投げ捨てた空瓶・空缶が、まるで”野外アート”のように大量に、しかも平均的に散乱しており、この国ではその点で一寸知られた存在である。アボリージニー(原住民)のアル中等は、社会問題になっており、国民の頭痛の種の一つだと聞いた。アメリカやカナダでも、エスキモーやインディアン等に同様の問題が発生して、対応に苦慮している、という話を聞いたが、物資が極端に乏しい原始的な生活から、いきなりアルコールが無制限に飲める豊かな生活になれば、人間は誰でも混乱するだろう。開発途上国では、文化・物質の面で極端な差がなく、しかも時間をかけて融合が図られるからさして問題にならぬが、これらに大きな差があるときは、対策が必要である。原住民保護に細心の注意が払われなければ、豊かさは原住民にとって大きな不幸であり、これらの国では過渡的な保護政策が不可欠と思う。オーストラリアには、日本の国土面積の何倍ものアボリージニー(原住民)保護地域があり、彼らの太古からの生活が保障されている。

40.港町ダービーの南7kmに、幹まわり14mのバオバブの大木がある。かつて1度だけ、空洞の中を刑務所として使ったことがあるというが、服役者の更生にはどの程度の効果があったのかな?

オーストラリアA(オーストラリア東)に行く

このページの頭に戻る

表紙に戻る