エピローグ

1.世界の新聞に掲載  2.愛車は博物館入り 3.タイの若い僧侶と   4.香港          5.韓国の板門店

1.50紙を超える新聞に掲載され、全世界向けのラジオで放送され、テレビにも出演した。

2.オーストラリア・N.S.W.州・FORSTER市の「Vintage Car Museum」に展示中

3.車のエンジン等で売れるものはすべて売り、スーツケース1つを持って西のパース、シンガポール、マレーシア、タイ、香港、韓国、日本へ。タイの若い僧侶がたばこをすう気持ちはわかるが、言葉が通じず残念!

4.香港で生まれていれば一生船の中か、それとも?

5.将来は車で日本・韓国・朝鮮民主主義人民共和国を通ってヨーロッパまで気軽に往復ドライブするのが

 今は閉鎖されているが、地勢的に大変重要なこのルートがいつの日か開放され、大量の人・物・情報等の往来を通して文化交流、相互理解、物流革命、経済・科学・化学・技術発展---を惹起し、各国に平和と多大な恩恵をもたらす夢を見ています。かつて東西の交易路として栄えた陸のシルクロードが、バスコ・ダ・ガマらによって海路が発見され、交易路は障害が多かった陸から海に変わった。今日、世界第2の経済大国・日本や21世紀の巨人・中国等とEU間に陸の交易路が開かれれば、その恩恵は計り知れない。すでにEUとアラビア半島、イラン等との間の陸の交易は超大型トラックが列をなして、冷凍ニワトリからコンピューターまでのあらゆる物と情報等を運搬して活況を呈している。この地に太い交易路が発展するのは、もはや時間の問題であり、まずは一本の「自由な道」を通し、「KANKOH RORD=観光道路」(仮称)とでも称して観光客の往来から始めませんか?平和を愛し、不可能だったことを可能にする、世界の夢挑戦者の支援をお願いします。

6.記念シール等    7.いはらき新聞     8.12年間ギネスに登場

6.世界の公的自動車クラブの会員バッジ・シール等

7.公言どおり、夢を実現した。世界旅行はあまりに素晴らしく、もし、もう一度人生を与えられるなら、万難を排してこの道を選択し、万全の準備で再挑戦するだろう。

  海外では、多くのことを考えさせられたが、その一つは日本人とは何か、である。この場ではプラ
 ス・マイナス面を1ずつ指摘し、みなさんの感想を求めたい。

  @ 少しずつ崩れてきたとはいえ、村文化を継承し善意・信頼を基本として社会を運営している民族。

  A 国際社会における国の経済規模や政治的影響が非常に大きくなったのに、一方では国の運営を
    した経験があまりに少なく、これらについては、相変わらず「見ざる・聞かざる・言わざる」
    の封建時代そのままのメンタリティーで対応している民族。

  ぜひ、みなさんには、日本の過去と現在を比較して分析してほしい。
 「変わった点は何か」、「それのプラス面は何か、マイナス面は何か、そして、どちらともいえない
 面は何か」。
 「変わらない点は何か」、「それのプラス面は何か、マイナス面は何か、そして、どちらともいえな
 い面は何か」。
  そして、これらの分析で何が大切かを考え、もしそれらに対して対策が必要なら、その対応策の策
 定、実施時期、実施方法等について、自分の意見をもってほしいと思う。なぜなら、これらが自分の
 生活に直結しており、これらのなりゆきから逃げられない運命にあるからである。実際、世界には、
 これらのなりゆきの帰結が、インフレになって長年の苦労が水泡に帰したり、避難民になったり、豊
 かな人生を謳歌させたりするのである。

(さらに、「日本人に対する辛口提言」はこちらまで)

8.完全単独、同一中古車、8年間、6大陸、99か国、27万キロドライブの記録はまだ破られていない。

こんなキャンピングカーがほしい!

 なお、この旅の経験から、私なりに「理想のキャンピングカーをつくってくれるメーカーはないか」と思案しているが、興味を示してくれる会社はないだろうか?もちろん、商業ベースに合うものでなければならないから、全世界で需要が期待される多目的対応型にする。全体の構造は、悪路や坂が多い開発途上国でもたくさん荷物が運べて、頑丈なVANタイプをイメージしている。すでにあらゆるキャンピングカーがある、と思うのは早計である。かつて、アメリカやヨーロッパの独壇場だった自動車にしても、世界市場で未発掘だった需要を喚起して新商品を提供し、1980年(昭和55年)には年間1104万台つくって世界一になり、いまや確たるシェアーを維持している日本車等のように、チャンスは十分にあると確信する。コンパクト、機能的、オフロード耐性、長距離走行、粉塵対策、寒暑対策、盗難予防---グローバル・メンテナンス網、華美なものは極力排除した機能重視により安価になれば、現状のキャンピングカーでは得られない利点がある。

 広大な国土の大半が、半砂漠やブッシュであるアフリカのボツワナ。ここのアメリカ大使館は、無線機器も搭載して、僻地のブッシュのなかに長期間でも滞在できる、よだれがでそうな公務用キャンピングカーを無人のブッシュで使用していた。アフリカは、クロームやタンタル等の稀少貴重金属、石油、天然ガス、ウラン、銅、鉄---等の資源がまだまだ未開発で、有望視されている大陸である。日本は領事館さえおかない国だったが(今は、国交がない朝鮮民主主義人民共和国以外の189すべての国にある)、僻地の情報収集等にはもってこいで、この差は国益につながる差になる、と思うが。

この旅で得た情報・感性で日本の近未来が事前に予測でき、大半は的中した!

1969年、先進国のヨーロッパ諸国を見て---

 人・物・金・情報・技術等が大量・高速・安価に地球をかけめぐる時代が到来し、”島国・単一民族・士農工商階級社会・鎖国・稲作文化・村社会”等の日本の常識は急速に世界の常識に変わって行く。よく象徴的にいわれる「タダだった水と安全が有料になる」という以外に、無防備な村社会から世界並みの危険な社会等へ、あらゆる面で欧米化してゆく。家屋の施錠化、インチキ商売・カルト教・犯罪等の蔓延等々。

1969年、ベルギー等で一般消費者向け卸売りビジネスを見て---

 徐々に拡大しつつある。貯蔵量が限られている狭い住居、どこにでもある商店でいつでも入手できる、ストライキや災害等で社会がストップする例が少ない等の理由で広がりは今一つ。

1969年、ベルギーでビアージュ(仏語。売主は所有不動産を担保に契約金を年・月毎にもらい、所有者死後は購入者に登記移転する契約・ビジネス)取引を見て---

 日本でも少子化と、親は自分の財産は自分で使い果たし、子孫等には相続しない思想が強まると思われるので、早晩採り入れるだろう。東京都武蔵野市他がリバースモゲージ(長期生活支援資金貸付事業)と称して多くの役所や銀行等で採用し、拡大中。

1969年、ベルギーでは旧植民地のコンゴ等からの人がベルギー人と偽装結婚して国籍を取れば生活が楽になるのではやっていた。これを見て---

 豊かな国の国籍取得はより良い生活をめざす人の昔からの知恵であり、日本も豊かになれば合法・非合法結婚はやるだろう。2003年は20組に1組は国際結婚である。

1969年、フランス等で少子化減少を見て---

 豊かになり自由になれば人生の選択肢は無限にひろがり、教育費の高騰(人はわが子に自分たち以上の生活レベルを望みがち)等で、選択肢が少なかった時代の子育人生より、別の自己実現を望むようになる。出生率(1945年頃の4.5が1.2へ)減少は社会のあらゆる方面に深刻な影響を与えるだろう。産院・学校等減少、税収・年金制度危機、結婚数・結婚式場・婚礼産業減少、離婚率増加、単身者増加---。

1969年、イギリスで、苦労して豊かな社会(大英帝国等の)を築いた経験がない若者(ビートルズ等)の増加を見て---

 ”当たり前の豊かな生活”はないのに、やがて豊かさに慣れ・油断・驕り等から経済・社会等が衰退するのではないか、日本も同じプロセスをたどるのではないか。WTOの基で国際市場に開発途上国が怒涛のごとく参入し、経済の分業化は熾烈を極め、次世代の飯の種を模索していないかつての先進国の1〜2次産業は壊滅的打撃を被っている。人間の本性を見る思いがする。

1970年、ギリシャの国境警備兵が民族衣装をまとって観光客に笑顔をふりまいているのを見て---

 外貨獲得に観光政策は世界の常識で、日本も無視できないだろう。昭和41年に立教大学に観光学科が創設されてから2006年現在では9大学に過ぎず、政府も2000年に入ってからやっとPRしはじめた。ギリシャやペルー等では昔から基幹産業化されているのに、日本国民の理解はまだまだの段階である。

1970年、旧ソ連やブルガリア等の共産圏で、やる気がまったくない給油所等の店員の態度を見て---

 人間の本性にマッチせず、やがて非効率的・非生産的な共産システムは潰れるのではないか。案の定、旧ソ連の共産主義実験は74年間で幕を閉じ1991年に崩壊。中国もベトナムも実質は資本・自由主義に傾倒してきた。

1970年、アメリカのサンフランシスコ市では駐車場が確保できず、百貨店が郊外に追いやられたのを見て。都市の終末状況を見て---

 車社会を加速させている日本も同じ状況になるだろう。スーパーストアーの展開もあるが、都会から大手百貨店が続々撤退した。東京都をはじめとして大都市は機能不全になりつつある。

1970年、アメリカのギルロイ市の図書館で働く多くのボランテア活動員を見て---

 日本もやがてボランテア、NPO、NGO等が社会的な位置付けの基に応分の役割を担い、広く活躍するだろう。成熟社会は全員参加の社会であり、今後も増えるだろう。

1970年、アメリカのサンホセ市の写真現像所で、東京銀行を辞めて入社してきた人を見て、銀行員よりゴミ収集員の方が高級取りだと聞いて---

 先進国の銀行の社会的地位は、護送船団方式で守られている日本より低く、早晩護送船団方式は解除され、銀行業務も自由化されて自然淘汰が図られ、一般会社の地位になるだろう。的中した。1977年のオーストラリアでは、銀行員よりタクシー運転手の方が高給取で社会的地位が高かった。

1970年、アメリカのサリナス市の花栽培業者がメキシコやコロンビア等で栽培し、飛行機で輸入・卸をしているのを見て---

 生産は原価が安い海外に広がるだろう。国際運搬が容易になり費用が安くなれば、生産・製造・流通は地球規模になるだろう。いまや1〜2次産業の産品は、かつての開発途上国の花形産業である。

1971年、ベネゼエラでオイル産出による急激な社会変化で貧富の格差等による混乱を見て---

 社会が急変するとスムースな対応ができないのだろう。オイル産出による混乱状況は1975年のナイジェリアも同様だったが、国の発展段階が似た状況下では、人間みな同じような混乱を引き起こすものだと思った。泥棒の闊歩、近代的なビル前での物乞い、汚職、成金の登場、内戦---

1971年、アメリカの豊かさ・高カロリー食品の過剰摂取・車社会での運動不要社会・ストレス増大等による異常な肥満を見て---

 日本も間違いなく肥満問題に悩まされるだろう。

1971年、アメリカで多くの企業合併・買収(M&A)を見て---

 日本も増えるだろう。それが発生してはじめは混乱が生じ、やがて関連法も改正・整備されるだろう。

1975年、ナイジェリアの新港建設の国際入札に日本の個別企業が失敗したのを聞いて---

 落札勝者である他社は、企業連合や国支援の企業体であり、過去の多くの勝因・敗因を活かしているが、日本の個々の企業単位では経験数が少なくて次の商談に結びつけにくい。今後はますます企業連合が増えるだろう。情勢は確実にその方向に向かっている。

1976年、イランで大多数の貧しい・イスラム教徒・田舎人とオイル産出に潤う都会の一部の特権階級、特に元パーレビ王の対米親交方針との乖離を見て---

 豊かさや自由度が増し非イスラム化する一部の特権階級と、富の恩恵に浴せず貧しいイスラム教信仰に救いを求める大多数のイラン人を見ると、「この国はひっくり返るかもしれない」と思った。日本のマスコミは元イラン政府の広報以外はまず報じなかったから、政権転覆時はあわてふためいてドラスチックに報じた。

1976年、貧しいパキスタンやインドといえども、銀行に銃を持った警備人がいるのを見て---

 島国、準単一民族、村社会、士農工商の身分固定制度---の性善説を前提とした、水と安全はタダな社会から、国際標準の性悪説を前提にした社会になり、すべてを警護するようになるだろう。

1977年、オーストラリアの多くの原住民が昼間からアルコールでつぶれているのを見て---

 アメリカやカナダのイヌイット(エスキモー)も政府の各種補償・保障費で麻薬のアルコールに溺れ肥満が激増した。人間、突然、お金を与えられて労働不要の生活におかれアルコールを目前にすれば、同じように泥酔して混乱する者多し、と思った。土地成金が人生を狂わすのと似ている。

1978年、”安価”という超強力な武器を手に国際市場に登場してきた東南アジア諸国を見て---

 長い間経済が好調で勝組に属し、慣れ、油断し、驕り---国際市場で次の飯の種を模索しないできた日本は危ない!と思っていたら、案の定、1〜2次産業の国際競争力は地に落ち、国内は産業空洞化が常態化した。私が帰国した1978年後も1989年まではバブルが続いたが、警鐘を鳴らしていた一人として大いに落胆している。日本を経営した経験が乏しい日本人は、まさに元マッカーサー元帥が嘆いたように政治・経済・社会的に”12歳”で、お先が暗い。国民が未来の青写真を描けないから政治家にも要求せず。「百年、河清を待つ」。

1978年、韓国と北朝鮮との国境にある板門店を見て---

 北の独裁者はイエスマンのみを周囲にはべらし、これでは国家運営が非科学的、非効率的に陥って危うくなる、と思っていたら、そのとおり。日本企業の独裁者も同じで、やがて自然淘汰されるだろうと見ていたら、そごう、ダイエー等が倒産。独裁者に陥りがちな親族に継がせなかった江戸時代の老舗創業者は、科学者である。

1978年、9年ぶりに帰国して、天然資源に乏しい日本では豊かな人的資源を活かした企業が国際競争力をつけて生き残れるか、と見ていたら---

 自動車産業等、時流に合った産業で世界戦略に秀でた企業が生き残った。


2006年、自画自賛になるが、約9年間の地球ドライブ27万キロで日本の経済の基本的構造がわかるようになった。

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