北アフリカ@(モロッコ〜アルジェリア)

01.アフリカ初ドライブ 02.西北アフリカルート 03.サハラの化石

01.スペイン南端のアルヘシラス港からフェリーで西アフリカ北端のスペイン統治領セウタ港へ。モロッコ、旧スペイン領サハラ(現モロッコ領サハラ)からは人車別々に貨物船でカナリア諸島グラン・カナリア島のラスパルマス港へ。フェリーでアルヘシラス港に戻る。

02.アルヘシラス港からフェリーでセウタ港、モロッコのタンジール、アルジェリア、チュニジア、リビア、チュニジア、フェリーでイタリアのシシリー島パレルモ港へ

03.サハラ砂漠は、かつて樹が生い茂り、野生動物がたくさんいた。砂漠の中央に位置するアルジェリアのタマンラセット周辺の洞窟には、当時の狩猟の様子が描かれている。 @ 樹の化石。 A サハラ砂漠の砂中にできる石で「砂漠の花」または「砂のバラ」と呼ばれている。 B オーストラリアの西オーストラリア州北部砂漠にある隕石跡「ウォルフ・クリーク・メテオライト・クレーター」でひろった隕石、または落下時の高熱で溶けた岩石?

1.アフリカ上陸      2.夕暮れは詩情的  3.マラケシの死の広場4.スーク(昔風商店街)5.干し物が日除けに

1.寒いヨーロッパから、暖かく乾燥したモロッコに入りさっそく「虫干し」。熱帯や亜熱帯は陽光が強く、日影は対照的に暗くなるのでコントラストが強すぎ、写真の写りは悪くなる。(アダプターレンズが必要)

2.ヨーロッパでは少ない牧歌的な風情がある。

3.モロッコbPの観光地といってもよく、特にこの広場の市場は目を見張るものがたくさんあり、いつまでも残しておいてほしい!オリーブの塩漬けは安い、栄養がある、長持ちする、おいしい、運搬に便利、暑すぎたり寒すぎたり時間がなかったりして車内での料理がしにくいときは、この副食が効果的。世界を熟知していた元英国首相チャーチルが、最も好んだ保養地とか。温泉もある。

4〜5.外は炎天下でも、日影の商店街は涼しい。商店の車以外は入れない。

6.田舎の市場      7.気さくな村人     8.水たまりも命の泉  9.南部は砂漠     10.砂漠の道しるべ

6.広大な半砂漠に住む人々には、ときどき開かれる市場が物資売買のチャンスである。情報収集も欠かせない。

7.砂糖が入ったジャスミンティをごちそうになった。

8.アトラス山脈のおかげで、ときどき雨がふり、農家や家畜には山の恵みとなる。

9.交通標識が文化を感じさせる。旧宗主国のフランスかスペインがつくったのかな?

10.砂漠の道標は”最高の精神安定剤”である。

11.砂丘は少ない    12.やわらかい    13.窪地のソフトサンド  14.渡河作戦      5.作戦完了

11〜12.サハラ砂漠の大半は、道がない砂丘地帯等である。瓦礫・砂地等の平地で、砂丘地帯が点在しているごく一部に交易道があり、その道からはときどき砂丘が見られる。砂丘は一般的には柔らかく、車の走行は完全に不可能である。たまには風で砂丘が移動し、道を覆っているが、そういうときは迂回しなければならない。

13.このような湿った地にはウサギ、鹿、タカ等がいる。車高が低いと車底がこすられて、車が砂等に埋まるか故障するので、車高が高くなければ僻地は前進できない。

14.アフリカドライブには欠かせないほど、信頼性が高いミッシェランの地図。これでも載ってない川だから、上流で雨がふって、ふだんは涸れた川に水が流れて---と思ったら小魚がいたから1年中流れているのだろう。それにしても、幸運だった。トラックはアメリカが援助した小麦粉を満載して、昨夜に到着。夜間の渡河は重い車に危険と、寒い砂漠で一夜を明かした。翌朝、簡易飛行場の滑走路等に敷く穴明き鉄板を川底に敷き、この上を渡った。丁度、この渡河中にでくわし、彼らが渡りきってから、彼らに鉄板を敷いてもらい、車を誘導してもらって無事渡河できた。車高が高いVWを選定したのは、このためでもある。

15.言葉はまったく通じなかったが、意思は正確に通じた。

16.砂漠のベルベル人17.太西洋岸は超穴場 18.ラーユヌ港       19.船でカナリア諸島へ20.ラスパルマス海岸

16.ソフトサンドにタイヤが埋まり、無我夢中で脱出作業に没頭していると、いつのまにか老人が現れ、砂かきを手伝ってくれた。あまりにも感激したので、お礼に米を1キロをさしあげた。あたりを見渡しても遊牧民のテントはなく、いったいどこからきたのか、不思議だった。写真では表情をとらえられないほど黒いが、心はまったくふつうの善良なベルベル人だった。

17.海岸沿いの砂漠にテントがあった。のぞいてみると、一本釣師の基地だった。さっそく、町で買った日本製の竹の釣竿等をとりだし、彼らにわけてもらったエサをつけて、波巻く岩礁の間に投げ込んだ。すると、まさに入れ食い状態。生活がかかっている彼らに迷惑だから、そこそこで竿をおさめた。モロッコから南アフリカにかけての太西洋沿岸は鯛、タコ、イカ、エビ、マグロ等の宝庫である。

18.旧スペイン領サハラ(現モロッコ領西サハラ)の港だが、海は遠浅で貨客船は沖合いに停泊する。小さな埠頭との往復は、人は小船で、貨物は水陸両用車で運搬する。この国の見所は---、砂漠と世界一長い燐鉱石運搬用のベルトコンベアー位か。

19.ラーユヌから純砂漠のモーリタニアには、完全装備でなければゆけない。モロッコに戻るには、モロッコのタンタンと国境までに悪路の砂漠が約300kmもあり、自力では渡れない川等で辟易していたので、貴重な資金を使っても海路から脱出したかった。貨物船は需要がないので月1度位しかなく、自分だけ先にグラン・カナリア島のラスパルマス港へ渡る。ここではスペインの外人部隊(植民地維持のため、独立派や領有権主張者を力で押さえる部隊)に高額をだすから、と誘われたが、断った。金は欲しいが、命は一つである。ラスパルマス港への貨客船は、それらの外人部隊の除隊者と一緒だった。

20.グランカナリア島は、寒いヨーロッパから逃れてきた観光客で満員だった。温暖な気候、安い物価、トマトやバナナの農産物が豊富、政治的安定、整った飛行場と港がある等、老後をここで送るヨーロッパ人が多い。ここの港から、大西洋やアフリカ大陸西岸沿いで獲れた鯛、タコ、イカ、エビ、マグロ等が日本輸出されている。台湾のマグロ船は250トン位で、ここまできていた。日本船は神奈川県三浦三崎の喜久丸、沖縄からの第一鹿島丸に上がりこんでは漁の話をきき、おいしい刺身をごちそうになった。「モーリタニア沿岸はよい漁場で、植民地時代は一定の区域に近づくと、まず機関砲等で威嚇してから検問にくるので、ただ逃げるか、トロール網を置いて逃げればよかったが、独立後はいきなり発泡してくるので、危なくて」という。

21.世界のキャンパー 22.島一周ドライブへ  23.山なみは雄大   24.火山岩が迫る   25.2度目のマラケシ

21.ラスパルマスで会ったキャンパー。キャンピングカーでの世界旅は圧倒的に欧米・オーストラリア・ニュージーランド人で、日本人には約8年間で、ほとんど出会わなかった。ましてや、全世界自動車旅行者には、いかなる国といえども会わなかった。

22〜24.グラン・カナリア島は火山島で、山麓からの眺めは桃色のアンズの花を配して雄大華麗。海抜1450mのクルス・デ・テヘイダ山頂からの夜景は絶景で、ラスパルマスの町は宝石箱、太平洋に浮かぶ雲は綿アメのようだった。この絶景を、一度は見て欲しいが!

25.カナリア諸島からフェリーで、いったんスペインのアルヘシラス港に戻り、再びモロッコへ。そして、モロッコといえば古都マラケシのスークヘ。羊毛をつむいで、染色して、干す。外套のような男性用民族衣装「ジュラバ」になると、暖かい。じゅうたんになると、100年はもつという。

26.スークの女性   27.ヒッチ暦5年の高橋氏28.南部のザゴラの町 29.ザゴラのラクダ市 30.女性の民族衣装

26.女性は肌を他人に見せてはならず、体形がわかる衣装もダメ。イスラム文化圏で女性の写真は取りにくい。宗教・伝統をかたくなに守るのはサウジアラビアやアフガニスタン、開放的なのはエジプトやレバノンで、モロッコ・アルジェリア・チュニジアは中間的といえる。

27.川で小魚をたくさん釣り、テンプラにして栄養補給。あまった小魚は市場で2デラハムで売りさばいた。これは、ガソリン2リットルの価値があった。

28.この地から、かつて黄金の都といわれたマリ国のトンブクトウへ「ラクダの旅52日間」はいかが。でも、食住が用意された先進国人向けのパックの旅である。車は便利だが、車にしばられるのも確かで、車を置いて長期間どこかにゆくことは難しい。

29.ラクダの旅でもパック旅行はイヤダ!という方には、個人用のラクダが売られていた。値段は?

30.民族衣装は、土地の気候・風土・文化・経済・宗教等を表している。これは結構涼しそうだ。

31.アトラス山麓     32.冬季は雪がふる  33.羊の放牧      34.共同井戸      35.なんでも屋

31.乾燥地だが、ここで産まれ、育てば、かけがえのない故郷になる。

32〜33.アトラスとは、古代ギリシャの神で「天を支える神」の名である。4000mを超す山並みがつづき、この北側から地中海までは温暖で、適度の水量も確保できるので農牧業が営まれている。最近では、家畜しか食べなかったこの山の「マツタケ」が日本にも輸入され、食卓を賑わしている。マツタケ(タコも)で儲けて、御殿を建てた方もいるという。(2000年の東京太田市場での輸入品取扱量は朝鮮民主主義人民共和国229、中国198、韓国56、カナダ51、トルコ7、モロッコ1トン)

34.田舎では、仕事中は身体を覆う衣装「ヘジャブ」は邪魔で---女性はマイペース

35.1キロ10円の甘いオレンジはありがたかった。ただし、現地の個人商店ではクレヨン等を売ったりもしたが、日本と違い、巧妙なかけひきが物凄く、だまされた方が悪い?、というのがルールだから、何度もごまかされ、ついにはそのテクニックのすばらしさに感嘆さえした。

36.古都フェズの染色壷37.器用な木工職少年38.アルジェリアの少年 39.サハラ砂漠     40.車内もほこりに

36.染料と羊の毛皮等の悪臭は強烈!それでも、日本のクサヤよりはましか?

37.シシカバブ(羊の串焼き)の串の柄を製造中。動力は手と棒とひもで、柄に模様を刻む小刀は足指で押さえて、まるで芸術である。開発途上国の子供達は、どこでも懸命に働いている。

38.旧殖民地の宗主国フランスから力で独立を勝ち取った気概が、子供達にも現れている。

39.乾ききった広大なサハラ砂漠。アトラス山脈の南側は、日本の約25倍の面積がある不毛の地だが、その中央でも3000m近い山があるタマンラセットでは、雨が降るという。その雨を見ようと、サハラ砂漠に突入した。

 サハラ砂漠。何もない。だが、見方を変えれば広大なスペース、平地、1年中照りつづける太陽の光と熱、新鮮な空気、静寂、砂、土、砂利等の資源が途方もなく広がっている。砂利道の表面が規則的に波を打ち、コルゲーション=洗濯板道では、車のあらゆる部分がゆるんで身体のネジもゆるんでしまうのではないか、と思えるほど長い所もある。イライラがつのり、ときには速度を上げてみると、車全体のバウンドは少なくなるが、車輪とショックアブソーバー等には計り知れない負荷がかかる。このときは、いつしか4本のショックアブソーバーが完全に壊れて、バウンドはさらにひどくなってしまった。非舗装道は、1日中運転すると難聴になりそうなほど雑音に包まれているので、夕方エンジンを切ると、しばらく耳がキーンとなる。  やや固い砂地と、ときどき横たわっているソフトサンドの大平原の走行法。これが結構難しい。
 1)砂漠には何もないところが多いから、全体的な方向を磁石で確かめながら、ワダチの方向を決め
   る。地平線に丘陵等があれば、方向性の参考にする。夜は危険すぎる。
 2)ワダチは四方八方に走っているので、自分の目的方向から大きく外れないように注意する。さも
   ないと、どこにゆくのかわからず危険である。
 3)なるべく新鮮で、多くの車が走った後のワダチを探して走る。ワダチが細くて古いと危険である。
 4)タイヤの空気圧を1〜2割下げ、砂との設置面積を大くして、キックする力をつける。空気圧が
   正常だと、ただ砂を蹴散らすだけで、埋まりやすい。
 5)ソフトサンドを渡るときは、なるべくハンドルを切らない。ハンドルを切ると埋まりやすい。
 6)ソフトサンドは、時速40〜60kmで勢いをつけて渡る。ゆっくり渡ると、車が砂に埋まりや
   すい。セカンドかサードギアーで、突っ走る。巾が10m以上は猛然と突っ込み、勢いで渡りき
   る。トップギアーではタイヤがソフトサンドにとられ、止まりそうになったとき、タイヤを回転
   させることができないで埋まる。
 7)ソフトサンドには、ときどき他の車が埋まって、砂を除去して脱出したときにつくった大穴があ
   る。速度をつけすぎると、この穴の発見が遅れて突っ込み、大きくバウンドして車を傷め、砂に
   埋まりやすい。回避しようと急ブレーキを踏むと、車内の荷物がすべて前方に吹っ飛んでくる。
   (バケツに野菜の浅漬けをつくっておいたら、車内にぶちまけられた)大穴を回避するために急
   ハンドルを切ると、転倒しやすい。したがって、適度の速度をだしながら走り、事前にこの穴を
   発見して、なるべくさける。間に合わず、やむを得ず突っ込むときは、なるべくハンドルは切ら
   ず、勢いで渡る。ソフトサンドの巾が広ければ、そのままの勢いで渡る。なるべく衝撃を和らげ
   るため、多少ブレーキを踏んでも勢いで渡れそうなら、ブレーキ操作をする。

 これらを繰り返しても、砂地の状況によっては、たびたび砂に埋まるので、その脱出法。

 1)車体の下の、前後輪の前方の砂を、シャベルや手でかきだす。
 2)ジャッキで後輪を浮かす。ハシゴ等を敷く箇所以外の位置に、ジャッキ沈下防止用の板等を敷き、
   これにジャッキを載せて車を上げる。
 3)ハシゴ等の後部端を後輪の下に敷き、ハシゴ等の前部の端は、前輪後部に置く。ハシゴ等の長さ
   は、前輪後部から後輪の下までとする。後は、ハシゴ等が動かないように少し砂をかける。
 4)ハンドルは真直ぐ保ち、ゆっくり前進する。また砂に埋まる前に止まり、これを繰り返す。ハン
   ドルを切ると、また埋まりやすい。

  ×もし、前輪の前方にも敷き、ハシゴ等を計4個敷くと、車が前進した後、前のハシゴ等が前輪と
   後輪の間に入ったときは、砂やタイヤに蹴られて定位置が定まらず、車の底部に挟まって車を傷
   めるので、採用できない。また、ハシゴ等を長くして2本にすると、後輪から前輪前方数mの長
   さでは、砂の除去をすべて均等の深さにしなければならず、無駄が多すぎて実用的ではない。こ
   のハシゴ等は泥道にも使うので、ハシゴ等の長さは3)の長さがよい。
 1回の脱出作業でも、心中は不安になる。のどが渇く。手に傷ができやすい。落ち着いて行うこと。これらの理由から、車は頑丈で重量は極力軽くし、効きが悪いショックアブソーバーは新品と交換して万全にしておくこと。

40.昼は、冷房がない車内温度は40〜60度になり、窓を開けざるを得なく、車内は完全にほこりにまみれる。例えエアコンを入れて窓を締めきっても、ほこりはあらゆる所から入ってくる。エアコンもラジオもないが、ガマンだけはあった(できた)。夜は零下以下になり、窓ガラスには車内で吐いた息が霜になる。満点の星空をながめていると、あまりにも多くの星が輝いているので、自分が、宇宙のなかの星の一つにいることを実感させてくれる。

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